1945. 昭和20年
6月岩崎澄子と結婚、9月20日除隊。アトリエ作りにとりかかる1946. 昭和21年
第1回愛媛美術工芸展委員、『農夫』出品、弟古茂田守介『こども』出品
1947. 昭和22年2月
祝谷のアトリエ完成、2.19長男不二生る。この頃から再び油彩中心となる。第2回愛媛美術工芸展審査員、以後昭和36年頃まで洋画の審査員をつとめる。
野間仁根が訪れアトリエより松山城を描く。
1951. 昭和26年
瀬戸内海を描きはじめる。
1952. 昭和27年
松山三越にて個展、このころ道後椿湯にモザイク壁画制作
1955. 昭和30年
この頃から面河渓の写生が特に多くなる
1960. 昭和35年
「十色会」(といろかい・様々な芸術家の集まり)主宰、松山三越等で発表会を開く
1966. 昭和41年4月
脳血栓により右手がやや不自由となる
1972. 昭和47年
KOMOグループ展、昭和54年5月(第9回展)までつづく
1974. 昭和49年
長男・不二とともに親子展
1986. 昭和61年
1月17日逝去、(松山市祝谷にて)75歳。
1987. 昭和62年
古茂田公雄遺作展(主催 愛媛県立美術館・愛媛新聞社)
1989. 平成元年4月
古茂田公雄素描展(主催 愛媛県立美術館)
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